こんにちは、uru(@uru_)です。
今回は少し「考える道具としてのノート」についての私の理解を書いてみます。
考える道具について振り返って見ると、筆記具は鉛筆、シャープペン、ボールペン、万年筆といったように、人生の各段階で微妙にシフトしていくのに対し、ノートは本質的にあまり変化していません。
しかし変化しないからこそ、他の筆記具より注意が向けられない嫌いがあります。
おそらく多くの人は小学校のときに、書き取りには100文字漢字とふりがなが書ける「書き取りノート」、算数では1cm四方の「方眼ノート」などを使ってすでに何か「線」や「点」が書かれたノートを使ってきたことでしょう。それは小学校の先生が意図的に設けた「制約」、つまり不自由さによって書き取りをしたり、四則計算や図形を書き込んだりしやすいようにあらかじめ学習がデザインされていたためです。そこにはちゃんと合理性があります。
ところが、ノート指導がなくなってくる時期になると、いつしかみんなが大学ノートを使うようになり、板書を写すことにだけ、特化していってししまいます。よい学習をするためにどんな道具を選んだらよいかという、「学び」そのものについて学んでいないとそのようなことになります。
そして、その学習方法は社会に出たときほとんど通用しません。
ただ「残す」するだけなら、スマホで1枚写真を撮れば事足ります。たくさん書きたければ、PCに直接入力すればいいのです(今私がやっていること)。
じゃあ「書く」ってなんだろう?
何を使って、どこに書いたらいいのでしょうか?
ノートにおける3つの制約
「書く」ためには、
- 何を使うか?
- どこに書くか?
について、考えてみる必要があります。 特に今回考えたのは「どこに書くか?」についてです。
個人のものとして残すことを考える場合、書く場所はほとんど「ノート」に集約されるでしょう。もちろん、ポストイットやメモ帳、ホワイトボードなども考えられますが、「残す」こと、つまりある一定期間以上保存することを前提とするとノート以外のものはいずれもあまり相応しいものではありません。
では、普段使っているノートは、どういう選択で購入しているのでしょうか?
見てくれのデザインはともかくとして、もし自分の思考のための道具としてノートを利用するのであれば3つの制約を理解しておく必要があります。
それは、次の3つです。
- ページのサイズ
- ページの補助線
- ページ数
なお、1と3はノートの「重量」と「体積」という物理的制約にも関わり、ノートのモバイル性にも影響を与えることに留意しましょう。
1. ページのサイズ
1ページが広ければ広いほど、1ページあたりの情報量を増やすことができますが、これはメリット・デメリット双方あります。
情報量が多ければノイズも混在しやすくなります。大きなノートに余白が多く残れば全体のバランスが悪くなります。人によっては余った部分に不安やもったいなさを感じ、さらに情報を足してしまうかもしれません。つまり、ページが広いと区切り方が難しくなります。
逆にページが狭い場合、情報量には限りが出るが、その制約によって書く内容は必然的に制限されるし、1ページ1トピックで簡潔にまとめやすくもなります。
2. ページの補助線
ノートの補助線はいろいろありますが、メインは「罫線」「方眼」「ドット」「無地」の4種類でしょう。
この中で、最も使い方が難しいのは、実は一番多く使われているであろう「罫線」です。
記述文というのは、どの言語を見ても必ず単線構造をとります。単線がオーバーしそうになったら、改行して下に移る。重要なのは、いくら改行しようと文自体は一直線であることには変わらないということです。
しかし、私たちが何か文章を書いたり整理しようとしたとき、必ず知識の構造化を図り、分類したり比較したりすることが必要になるから、文章もまたできるだけ構造的になるよう、出す「順序」に気を配らざるを得なくなります。
多くの言語は横書きの場合、左から右へシフトします。長い文章だろうと、箇条書きだろうとそれは変わりません。
もし、すでに構造化された知識が用意されているとしたら、文章にしろ、箇条書きにしろ「罫線」に沿って書くだけだからとても楽です。中学校や高等学校で「罫線」の大学ノートを利用するのは、多くの生徒は、教師が事前に構造化し黒板やプレゼンに映し出されたものをただ写すだけなら「罫線」のノートが最適化されているからに他なりません。
しかし、もし知識の構造化を自分でするとなると、「罫線」ほど厄介なものもありません。いきなり文章や箇条書きを書いたところで、順序を変更したり、加筆修正したりすることは困難です。書いた瞬間、そこに「順序性」が生まれ、思考の柔軟性を阻害します。単線構造が創造の制約となるのです。
それを防ぐためには単線化しにくい補助線の入ったノートを使うことをお勧めします。 制約の高い順から「方眼」「ドット」「無地」となるでしょう。
方眼は「縦」と「横」という複線構造を取っています。だから表やグラフは描きやすい。しかし、関係性が3以上になると、方眼の制約も思考の阻害を招きます。
最も阻害が少ないのは無地ですが、自由な分、何をして良いか分からなくなります。ドットは方眼と無地の中間と考えれば良いでしょう。
3. ページ数
先述したとおり、ページ数はページのサイズとともにノートのモバイル性能を決める重要な要素になります。
大きくて重ければ、持ち運びはしにくくなりますが、後から情報を見直す機会はむしろ増えます。ただし、ページが増えると見直したい情報のアクセビリティはむしろ低下します。
正直この辺りは、デジタルの方がやや軍配が上がります。
私の場合、ある程度書いたノートは裁断してスキャンしてしまいます。これをすることでモバイル性は非常に上がります。ただし手書きなのでOCRにも限界があり、検索してサクッと探す,とまではいきません。しかし手書きの良さは、そのページを見た瞬間、書いた時のエピソードが非常に鮮明に思い出されるということです。字体はテクスチャでもあり、脳の奥底にしまった記憶を蘇らせる鍵にもなります。
おわりに:これまで紹介した文房具
私は定期的に自分の使っているツールを見直すようにしています。なかでも、アナログなものは特に注意を要します。
アナログなものほど、愛着がわき、捨てがたい。その気持ちが合理性と戦うことになります。
これまでにもブログでは筆記具や文房具について紹介してきましたが、「考える道具としてのノート」についてはあまり触れてこなかったため、備忘録としてこの度書いてみました。
本当は新しく用意したノートについて紹介するつもりだったのだけれど、それはまた次回ということで。