部活動指導による教員の長時間労働問題が近年叫ばれている。
長時間労働問題が「問題」として認識されるようになったのは
名古屋大学の内田良先生の尽力が大きい。
2016年10月28日,政府の教育再生会議でも安倍総理がこの問題について
言及されたことについて,私は素直に嬉しく思った。
しかし,もしこれらの動向によってこの問題に何らかのメスが入っても
すでに長時間労働問題が「問題」になる前に潰れていった人が
救われるわけではない。
仕事を失い,人生が狂った人々。
その原因は紛れもなく監督責任者である校長にある。
子どもの教育という大義名分を逆手にとって,
全く悪意なく成し遂げる所業である。
現在,私立の高校に勤務する私も,
かつて公立の中学校で潰れていった人間の一人だ。
それはまだ問題が「問題」になる前のこと。
狂わされた当時のことについて,少し書いてみようと思う。
部活動による長時間労働問題が「問題」ではなかった頃。
私が教員養成系の大学で学んでいた頃,
部活動による長時間労働問題はまだ「問題」として認識されていなかった。
部活動指導はきつい,夜も帰れない。
そんな話は耳にしても,心身を害するとまでは想像もしなかった。
実は大学時代,私は内田先生の教育社会学の講義を受けていて
当時先生が出版された『「児童虐待」へのまなざし』には
大変興味をもったものである。
しかし当時,部活動の問題は全く認識していなかった。
初任者研修と部活動の板挟み。
大学卒業後,地元の公立中学校に常勤講師として勤務した。
もともと自分がしていたスポーツは水泳だったが,
水道代の問題でプールがあっても水泳部がない学校は少なくない。
その時担当になったのは陸上部だった。
大変ではあった。
けれどその時は心身を害するようなことはなかった。
2年目。教員採用試験に合格し(というか1年目はそもそも地元で受験してなかった)
正規に採用された年のこと。
後から知ったことだが,その当時,その自治体での初任者研修は
これまでで最も拘束時間が長かったらしい。
月に何回か出張し,外部で研修を受けていた。
研修の後,学校に電話するのが怖かったことをよく覚えている。
勤務時間が過ぎていても,学校に戻らなくてはならないことを知っていた。
受けもったクラスには問題行動を抱える生徒が数名いた。
また,私の担当は理科であったが,
当時学習指導要領が改訂されて理科の授業数が大幅に増えたこともあって
初任者研修中の代わりの先生は70歳過ぎという年の差だった。
研修が終わるとその先生からその日の問題行動について報告があり,
まずはその後始末のために学校に戻り,
小言なのか愚痴なのか指導なのかもわからない呂律の回らない話を
別の日に聞かされるのだった。
それと同時に受け持っていた部活動が,野球部だった。
運動部の中でも特に拘束時間が長い部活動だった。
3ヶ月間1回も休みを取れなかったこともあった。
それでも当時の自分は(悪い意味で)真面目だった。
バットなんてまともに振ったことのない自分が
秋にはノックでキャッチャーフライが2回に1回くらいは打てるようになった。
教科の教材研究をしながら,野球の練習の指導方法も勉強した。
生徒に対して申し訳ないと思う一心からだった。
けれど,
初任者研修にしろ,部活動の指導にしろ,
苦しくても悲鳴をあげることはできなかった。
しかし,どうやら何かが少しずつおかしくなっていたらしい。
初任者研修が終わった後,講師を務めた先生に呼ばれて
「顔色悪いけど大丈夫?」と声をかけられた。
他にそんなことを言ってくれる人は,職場にはいなかった。
その先生の後押しもあって,ある日教頭先生に
産業医への診断の希望を出したことがあった。
けれどうやむやにされて断られた。
何かが崩れ落ちた日。
年も明けて冬も深まったある日,体が動かせなくなった。
前日も野球の練習試合で,寒い中一日中外にいた。
妻の運転で病院に連れてもらったところ,
ひどい肺炎になっていたそうだ。
普段は厳しいかかりつけの先生が,その日だけ気持ち悪いほど優しかった。
それから約1週間安静を取らされたが,
肺炎が治った後,学校に行くことができなくなった。
治ってすぐ学校に行き,最初は業務も少なくしてもらえたが
1週間後には平常運転に戻り,そしてまた体調を崩した。
その日から,職員室には入れなくなった。
さらにその数日後,校長先生とともに教育委員会に呼ばれた。
待っていたのは,叱責と厳重注意だった。
私の当時の状況を知人に相談したことが,保護者の耳に入ったそうだ。
信用失墜行為だと言われたのだ。
心療内科に通い,診断と薬をもらい
特別休暇をもらって静養を続けたが,校長と教頭とは話がこじれるばかり。
そこに助け船なんてどこにもなかった。
妻や家族は心配してくれたけれど,具体的に何かできたわけじゃない。
私はずるい。仕事をさぼっている。周りはもっと忙しい。
上司からの言葉が雑音にしか聞こえなくなったころ,辞職した。
おわりに:しかしそれでもまだ教員をやっている。
仕事を辞めて数ヶ月後,
偶然私立の高校から理科の教員が欲しいという声がかかり,
それからもまだしつこく教員の仕事をしている。
けれどあれから一度も公立中学校の時のような
異常な心身の不調は起こっていない。
仕事の環境が辞めた当時よりも随分良くなったからだ。
今でも時間外勤務はあるけれど,当時よりははるかに良い環境だ。
拾われた奇跡に感謝しながら,今も仕事に勤しんでいる。
ただし,私は運が良かっただけだ。
知人にはもっと深刻な状況になって心身を患う人もいたし,
自殺未遂をした人もいる。ジョブチェンジはもっといる。
過労死ゾーンを超える残業が何ヶ月も続くと心理的な異常をきたす。
なぜ逃げないのか? その疑問に意味はない。
理屈を超えた状態を平常の理屈で考えても答えにはたどり着けない。
教員の長時間問題は少しでも改善して欲しいと心底願う。
仮に改善されても,今全国に広がる精神疾患に陥った教員を救うのは難しい。
今は,
助けて欲しいという声にならない声にほんの少し耳が傾きかけている。
どうか,本当にこの問題の助け船を出せる労働環境になって欲しい。