前回は陸前高田市の震災遺構「タビック45」を紹介した。
しかし,東日本大震災から5年経った今,
震災遺構を除くほとんどの建物はがれきとして撤去され,
今なお大規模なかさ上げ工事が行われている。
人々が住んでいた形跡が消えていく街の姿に対して
住民の方々が今何を感じているのか。
今回はそのかさ上げ工事で変貌する陸前高田市の姿を紹介したい。
街が持ち上がる!?後戻りNGな大規模かさ上げ工事。
陸前高田市で行われた津波対策の工事は大きく分けて2つ。
新しい防潮堤の建設と,大規模なかさ上げ工事だ。
写真は防潮堤の様子。そして反対側を見るとかさ上げ工事の様子が見える。
土の山が何個も並んでいるような街の姿。
震災前にどんな建物が建っていたのか,今となっては全く見る影もない。
山を丸ごと削って運ばれた土砂。
しかし,防潮堤とかさ上げ工事をするためには大量の土砂が必要になる。
その土砂は一体どこから来たのだろうか?
それを示すものが,前回紹介した震災遺構「タビック45」の近くにある
「陸前高田復興まちづくり情報館」の中にある。
この中には,この防潮堤とかさ上げ工事に必要な土砂を輸送した方法が
模型で紹介されている。
その方法とは,巨大なベルトコンベアーだ。
山から陸前高田市まで,全長3kmものベルトコンベアをまず建設し
ダンプカーなら10年かかる土砂の輸送を4年にまで短縮したのだ。
事業主体はUR都市機構,事業費は約1100億円にも上る。
震災から5年経った2016年時点ですではすでにベルトコンベアーは撤去されているが
採掘場所の後だけは現在も残っている。
陸前高田市のかさ上げ工事の様子。
2016年時点,陸前高田市はかさ上げ工事の土砂が積もった山が
そこらじゅうにある状態となっている。
このかさ上げ工事,
写真で見るとなかなかその高さが伝わりにくいが
近くで見るとそれがより実感できるようになる。
この写真はかさ上げされていない場所から撮ったものだが,
ダンプカーよりもさらに高いことがわかる。
このかさ上げ,大型バスを合わせでも高さ2〜3倍はある。
このようなかさ上げされた土地が,
今,広大な陸前高田市の平野全体で起こっている。
街のほとんどを飲み込み,多くの命を奪った津波の破壊力も凄まじいが,
それに対抗するヒトの科学・技術もまた想像を超えたインパクトを与えている。
おわりに:コスパはずっと先まで分からない。
このような街の主要部分の大半を丸ごと持ち上げるかさ上げ工事に対し,
多額の費用に対するパフォーマンスについては市の内外から持ち上がっているらしい。
いずれはこのかさ上げされた土地に大型のショッピングモールを
建設する予定があるということだが,
当初の予定に対し,誘致できた企業は想定の半分程度だという。
この何もないだだっ広い土地にどんな街ができるのか。
どんな支援をすることができるのか。
それはもうしばらく様子を見ないと,誰にも分からない。