仕事で岩手に行く機会に恵まれた。
2011年3月11日に起きた東日本大震災の震災地を訪問する旅である。
私は震災1年後の2012年の8月にも被災地を訪れているため,これで2度目である。
ちょうど震災のあった年の3月,
陸前高田市立矢作小学校が統廃合のため閉校となった。
その後,この小学校は改築改築工事が行われ,
主に復興支援活動を支える簡易宿泊所に生まれ変わった。
それが「二又復興交流センター」である。
今回その二又復興交流センターに宿泊することができた。
宿泊所になった旧小学校に泊まる機会は初めてだったため
いろいろと新しい発見があったので紹介したいと思う。
宿泊所に生まれ変わった元小学校の姿。
旧・陸前高田市立矢作小学校,現・二又復興交流センターは
山間に面したところにあり,3.11での津波の被害は受けていない。
自然に囲まれており,近くには本流の矢作川につながる中平川が流れ
水流が遠くから聞こえる静かな場所である。
そんな場所にある二又復興交流センターは現在
NPO法人PACTさんが運営している。
元が小学校なので,外見は文字通り小学校にしか見えない。
(ちなみに運動場は現在センターの土地ではないらしい)
ものすごく哀愁漂い,懐かしさすら覚える姿だが,
しかしここは宿泊施設である。
ところが中に入ると,そこは本当に宿泊施設だった。
廊下には絨毯がひかれており,天井から壁まで綺麗に改装されている。
外から見た姿とのギャップに思わず戸惑ってしまうくらいだ。
部屋は畳張りの集団部屋と,
教室を間切したカプセルホテルのような個室があった。
食堂は会議室だろうか。広い教室に設けられていた。
宿泊施設なので,お風呂もある。
トイレももちろん改装されていた。
古い学校なのでトイレだけ古いままだとそれはそれで別の需要もあるかもしれないが,
とても綺麗だったので夜一人で行っても怖くない(たぶん)。
そしてWi-Fiもありました。
建物に残る,思い出の数々。
そんな改装して生まれ変わった旧小学校。
しかし建物の中にはまだ小学校だった頃の名残が残っていた。
例えば写真の古時計。
横には寄贈の文字が入っており,そこに子どもたちが過ごした証が
刻まれている。
こちらの鏡は卒業生が送った記念品。
鏡に映る洗面所とは対象的な存在だ。
思い出は小学校のものだけではない。
東日本大震災でボランティア活動に来た人々の痕跡も残されていた。
例えば,先ほど見た食堂の正面には黒板があり
メッセージが残されていた。
廊下の掲示板にも,これまでボランティア活動した人たちの写真が貼られ
これまでの苦労,これからの希望が刻まれていた。
おわりに:陸前高田市に行ったらぜひ立ち寄りたい施設!
東日本大震災とその被害それ自体については今回触れなかったが,
生きているうちに一度は見る価値かある,大きな教訓が
陸前高田市をはじめとする被災地にはあると私は思う。
百聞は一見にしかずと思わせるだけのものが,ここにはある。
もし被災地に行く機会があれば,
二又復興交流センターにはもう一度足を運びたい場所である。
ここは過疎化と被災の両方を垣間見ることができ,そこにいた人々の姿に
少しだけ近づくことのできる場所だ。