先日,文部科学省の学校司書の資格・養成等に関する作業部会(第2回)で示された
学校司書養成のモデルカリキュラムについて少し取り上げた。
モデルカリキュラム(素案)で示されたのは24の履修単位である。
このタイトルを見ると察しがつくと思うが,
私は作業部会の資料を見て「多い」と思っていた。
しかし,記事をアップした後,読んだ人によっては違った捉え方をしている方を知り
改めてなるほど!と思う部分があった。
異なる立場からどのような反応があったのか,その一部を
Twitterから取り上げてみたい。
学校司書になるための24単位は多い?少ない?
記事をアップした後Twitterでの反応を
時系列で見てみたい。
学校司書という役割に対する自己認識の差異
まず最初に以下のTweetで記事を告知した。
文部科学省の学校司書の資格・養成等に関する作業部会(第2回)で示されたモデルカリキュラムがハードル高すぎ!! – Learninghacker https://t.co/f2THSQA1NB
— uru (@uru_) July 26, 2016
すると,
学校図書館のお手伝い、事務職員と思えば学校司書の養成に24単位は多いんだろうか。専門職と思って内容を見たら少ないと思っていたけれど。
— つばさ (@tsubasac) July 26, 2016
という反応があった。
学校図書を「事務職員」とみるか「専門職」とみるか,
立場の違いによって24単位の捉え方が変わるという観点は
非常に興味深い。
何より,現在の学校司書という立場から述べている点で参考になる点が多い。
先月,私も学校図書館の研修会の際に他校の学校司書や司書教諭の方と
情報交換する機会があった。
その中では主に自校の学校図書館についての課題を共有する機会があったのだが,
「学校図書という自分の立場に対しての認識の違い」が
上述のTweetと同じように現れていた。
自分を「事務職員」と認識している学校司書の方は,
蔵書数や開放時間,子どもの利用人数について問題意識を持っているようであった。
実際,私と話した方は事務職員(パートタイム勤務)として雇われており,
他の事務作業と兼務しながら学校図書館の整備に当たっていた。
一方で,司書教諭との連携の取り方や,授業への活用,
他の先生や児童生徒,保護者への働きかけに問題意識を持っていた方は
あえて言うなら「専門職」として学校司書を認識していた方だろう。
この2つの違いは,
「児童生徒」をサービス提供者としてみるか,教育の対象者としてみているか,
「他の教員」をサービス提供者としてみるか,連携する相手としてみるか,
この点で微妙に言葉のニュアンスが違っていた。
学校司書の中でも,この辺りの価値観が少しずつ異なっている。
おそらく小学校,中学校,高等学校のいずれに所属するかでも変わるだろう。
先ほどのTweetでは,さらに次のように続いている。
学校図書館の格差はすごく広がってて、公立でも高校は司書資格が前提の専任の正規職員がほとんどの学校にいる県と、ほとんど学校司書がいない県が。小中学校でもほぼフルタイムの学校司書がほぼ毎日いる自治体から全くいないところまで。学校図書館関係者でも見えている景色が違うのだろうなあ。。
— つばさ (@tsubasac) July 26, 2016
学校の規模や勤務形態による認識の差異について指摘されているが,
これもいわれてみると,確かにそうだと共感する点が多い。
学校司書への憧れと雇用形態とのギャップ
次に,司書という資格需要と雇用環境について指摘されたTweetを読んだ。
これについてもとても考えさせられるものであった。
現状、司書になりたい人は多いので、24単位は多いとは思わないが、これが雇用の改善には全くつながらなさそうなのが辛い。
— yansenmu (@yansenmu) July 26, 2016
この方は実際に司書講習の講師をされている立場からの意見として
第一に司書資格の需要,第二に雇用の問題を挙げている。
私は特に司書資格の需要について理解が不足していた。
これを読んだ私は,ブログに記事をあげた翌々日に,
文科省の作業部会で提示された学校司書養成のモデルカリキュラム24単位。私はこれを見て「多い」と最初思ったが、Twitter上ではこれについて違う意見もあり、なるほどと思った。勉強になる。
— uru (@uru_) July 27, 2016
と反応したところ,
@uru_ いや、「24単位で結局時給800円」となると多すぎですよ。@uru_ さんの言うとおりです。でも、希望者は多分いて、それがまた闇なのです。
— yansenmu (@yansenmu) July 27, 2016
とお返事をいただいた。
「『24単位で結局時給800円』となると多すぎ」というのは
まさに私が前の記事で「ハードル高すぎ!」と述べた最大の理由である。
しかし「希望者は多分いて、それがまた闇」というのが実に興味深い。
公共図書館にしろ,学校図書館にしろ,
正規職員になるのが難しく,非正規で時給も安いにもかかわらず
司書を目指す理由。その多くは「本が好きだから」である。
(ちなみに「本が好き」と「読書が好き」は微妙に異なる)
実際には,司書は「資料を扱うプロ」なので
本が好きという動機は必要条件ではあっても十分条件ではないような気がする。
別にビブリオマニアである必要はない。
学校司書の場合は「学校」とか「教育」に携わるという善意が上乗せされるので
たとえ安い給料でも喜んで働きたいという人はいっぱいいる。
しかしそれは専門職としての人的価値を相対的に下げる行為に他ならない。
一方で資格取得ビジネスが成立し,他方で専門職の価値の低下を招く。
こと教育という非営利事業についてはこの悪循環に陥りやすい。
まさに「闇」だ。
おわりに:落とし所の難しさ
学校司書の資質・能力の育成の今後の議論には今後も注視したい。
特に学校司書の問題は,上記のTweetの中でも指摘されているように
学校司書という立ち位置に対する当事者の認識や,
学校とその図書館の規模,職務形態など,周辺への影響を考慮しなければ
現実的な制度となっていくのが難しいと考えられる。
その辺りが今後どのように議論が深まっていくのか
非常に興味深い。